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| 洗濯機、冷蔵庫、テレビなどが家々に揃い、街には自家用車が増え始めたそんな頃です、聞いたこともない化学物質による健康被害が明らかになってきたのは…。 健康被害と聞いて主婦たちが黙っているわけがありません。生協の婦人部を中心とした署名や国・自治体への要求など、暮らしと健康への関心は高まっていきました。 ほら、PCBって憶えてるでしょ? 今につながる環境の汚染が始まったのが、ちょうどこの頃だったのです。 |
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| また、時代は列島改造・高度成長と同時にオイルショックという大波をもかぶることになります。物不足のパニックの中で、商社の売り惜しみなど経済界の裏側を追求したのも主婦たちの力でした。 生活を守りたいという願いは各地に生協を誕生させました。「広場と青空の東京」というスローガンを掲げた当時の美濃部都政は、生協に対する利子補給を行うなど、その社会的役割を大きく評価しました。我が東京西市民生協(自然派くらぶの前身)が誕生したのも、ちょうどこの頃、昭和49年8月のことでした。 昭和40年後半から50年代にかけて、物価高と公害と有害商品、つまり生活を破壊するものへの抵抗がエネルギッシュな主婦の力を結集させました。共同購入で家計の出費を抑えるだけでなく、生協独自の商品(=コープ商品)を開発しはじめたのもこの頃です。 各生協では無添加のハム・ソーセージや練製品、無着色のタラコなどが開発されました。そして農・水産物については産直という形が生協の発展を支えました。 |
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| イギリスの小さな街ロッチデールで産声を上げた生協。 当時は「混ざりものの無い本物の小麦粉が欲しい」との思いが人々を動かしました。 今でこそ「保存料無添加」や「無着色」は一般基準になってきていますが、これを実現してきたのは、雪の夜に結集した消費者たちの確かな思いが、長く長く引き継がれた結果だったのです。 自然派くらぶ生協 機関紙 「ぽらーの」 より
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