それは、「食べたい」という切実な欲求でもありました。戦後数ヶ月の間に、生協はまるで雨後のタケノコのように発生しました。この時の生協は町内会単位の「買出し生協」。とにかく食糧を手に入れる、それが人々の一番の目的でした。
ヤミ市に手が届かない庶民の頼るものはこのような生協しかなかったからです。
終戦から一年後には全国で300組合が組織され、130万人が組合員となりました。
また、このころの生協のもう一つの特徴は、運営や活動への主婦の参加がグンと進んだことです。地域生協だから、町内会的なノリで話がはずんだのでしょうね。
各地で映画や音楽の集いが開かれたことからは、苦しい生活の中でも希望を忘れたくないという女性たちの思いが感じられます。
男性も女性も食べるために必死で働いた時代、働く女性のための支援にも主婦の力が結集されました。初めての託児施設、惣菜事業などが起こったのもこの頃でした。 |