ぽらーのカフェ
夢のはじまり・・・生協ものがたり
vol.6 いくつもの戦争の陰で
 
 
日露戦争に始まった日本の軍事国家路線は大正初期には第一次世界大戦へと突き進みます。

戦争によって産業は発展したものの、激しいインフレは庶民を苦しめました。

なんと、
米の値段が三年で三倍にもなったのです。お米が食生活の中心だった当時としては死活問題だったことでしょう。米騒動が各地で起きたのもうなずけます。

 こんなインフレに苦しむ人々を夢中にさせたのが、
大正デモクラシーの波でした。
「えーと、大正デモクラシーって何だっけ?」というアナタのために説明しますと、民主主義的改革を求める思想、ということになりますね。
反体制、労働運動、主権在民の思想の中で、時代は普通選挙実現に向けて動いていました。
  さて、この頃の生協はどんな姿だったのでしょう?

 インフレからの生活防衛のために各地で設立された生協は、いよいよ日本での生協運動の本格的展開を繰り広げていきます。
中でも大正15年に中野・杉並かいわいの知識人たちが設立した西郊共働社は、翌年には家庭会を発足させ、その初代会長は、あの
与謝野晶子が務めました。

 さらに
昭和四年には日本で最初の班会が組織されたのです。
のちにこの生協は分離・合併を経て城西消費組合として発展していきます。その姿はガス代値上げ反対運動などを展開する反面、活発な婦人組織を持ち、班会はもちろん、
子ども会やピクニック、講演会、映画・演劇などの文化活動も重視したものでした。
      ・・・・現在の生協の原型となるものが誕生したのです。

                         .◆ ◆ ◆

 昭和四年の昭和恐慌、六年と九年の満州事変は急激に生活を悪化させました。
各地の生協は連帯して米よこせ運動を展開し、六千俵の米の払い下げを受けるなどの成果をあげていきます。
しかし皮肉なことに、
生協が成功すればするほど、警察権力からの弾圧が激化し、暗い時代がやってきます。
日中戦争が進行すると国民は耐乏生活を強いられ、生協も散りぢりになってしまうのでした
 

                        自然派くらぶ生協 機関紙 「ぽらーの」 より
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